共依存、DVからの脱出⑥ ~解放のとき~
こんばんは。
ママ子です。
娘の学校行き渋りに悩みあぐねていたら遅くなってしまいました。
学校や役所など、いろいろ相談しているのですが、
やや過干渉気味の母に相談した結果、うっかり自分を追い込んでしまって・・・
危なかった。
とりあえず、ネットの投稿欄に似たような内容を発見し、少し落ち着いたところです。
(良くも悪くも)情報化社会ってすごいですね。
これについては、また別の記事でお話しできればと思います。
「共依存、DVからの脱出」最終回です。
前回
誰一人として同じ人間が居ないように
心の病も十人十色
こんなバックボーンもあるんだ へぇ
くらいに思って
あともう少しだけ、お付き合い頂けると嬉しいです。
前回、実家からアパートへ戻ったその日に逃げ出した私。
その後のことを、あまり詳細に覚えていません。
とにかく自分をコントロールできず、娘を抱っこしたまま泣き出すこともありました。
それを見た家族が、私の腕から娘を抱き上げたとき、自分を否定・拒絶されたと感じて衝動的にベランダから逃走(落ちたともいう)したこともありました。(無傷でしたが、外は雪。あまりの寒さに玄関ドアをたたき救出してもらった)
診断をうけて、とてもほっとしたのを覚えています。
適応障害は、ストレスの要因がはっきりしているのが特徴で、
要因から離れていれば回復するというもの。
私のストレス要因は、まぎれもなく彼(まだ一応夫)でした。
離婚の文字が、頭をよぎりました。
それでも、一応まだ夫婦。
病メルトキモ、なんて何も誓ってないけど、彼が治療に協力してくれるのか確認することに。
心療内科の受診に同席してもらったあと、彼と医師だけで話してもらいました。
次回受診日の確認をして、その日は終了。
協力する気があるのなら、
次の受診日までに、何かしらのアクションを起こすだろう。
何もなければ、離婚しよう。
殆ど諦めていましたが、まだどこかで信じたいと思っている自分に
諦める決心をさせたくて、そう決めました。
案の定、音沙汰はなし。
そこから猛烈な勢いで離婚について調べあげ、離婚協議書を自分で作成。
離婚届を役所で受取り、彼の書く所以外は全て埋めて、離婚を要求しました。
(離婚するんだと決めてからのエネルギーは本当に凄かった)
すると、例のごとく彼は実家に押しかけてきました。
夜中にイキり倒してうるさい車で現れ、家の前に何時間も居座り続けたので110番。
昔ストーカー事件があった地域ということもあり、警察はすぐに来てくれました。
警察の到着する前に彼は逃げ出しましたが、
”警察沙汰”という意味で証拠になりました。
すると、別の日に彼の母親が来て、”息子が悪いことをした”
と、私の手を握りながら頭を下げて謝罪。
離婚成立かと思いきや、
また別の日に”息子は悪くない!”と、彼母再登場。
両家揃って話し合いをするも、決着がつきません。
仕方がないので弁護士さんに相談し、
調停の申し立てをしました。
論破するための準備をしながら、しばらくして日程のお知らせが届くと、
即日彼母が一人でやってきて、何も裁判することないじゃないかと何やら文句を言いながらも、離婚届けはこちらで提出しますと去って行きました。
り・・・離婚成立!!!!!
やっと・・・やっと解放された・・・・・
婚姻期間数か月という芸能人みたいな記録をたたき出しました
その後ママ子は治療に専念し、半年程でアルバイトを始め、資格取得に向けて踏み出すのでした。
その先でぶち当たる壁の存在も知らずに・・・
大変長くなりましたが、
これが私の共依存・DV、そこから脱出した体験です。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
辛いなんて言葉じゃ足りないくらいしんどかったけど、
その分経験値を得ることができました。
私も彼も未熟だったから生じたことだと、今なら分かります。
もし、似たような経験をお持ちの方、
過去を悔やんでいる方
相手や、自分を許せない方へ
心と身体は、とても正直者
過去の自分の心は、
居場所である大切な身体を守ろうと
そのとき置かれた状況を一生懸命理解しようと努力したのです。
精一杯頑張ったうえで、一番いいと判断した行動をとった。
その頑張りを、どうか認めてあげて下さい。
大丈夫。生きていれば必ず、認められる日が来ます。
次回