バツイチ いぬ子 2nd物語

バツイチアラサー、自分の人生をゆるく生きることにした。

共依存、DVからの脱出⑥ ~解放のとき~

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こんばんは。

ママ子です。

 

娘の学校行き渋りに悩みあぐねていたら遅くなってしまいました。

学校や役所など、いろいろ相談しているのですが、

やや過干渉気味の母に相談した結果、うっかり自分を追い込んでしまって・・・

危なかった。

 

 

とりあえず、ネットの投稿欄に似たような内容を発見し、少し落ち着いたところです。

(良くも悪くも)情報化社会ってすごいですね。

これについては、また別の記事でお話しできればと思います。

 

 

共依存、DVからの脱出」最終回です。

 

前回

mamakoblog.hatenablog.com

 

誰一人として同じ人間が居ないように

心の病も十人十色

 

こんなバックボーンもあるんだ へぇ

 

くらいに思って

あともう少しだけ、お付き合い頂けると嬉しいです。

 

 

前回、実家からアパートへ戻ったその日に逃げ出した私。

その後のことを、あまり詳細に覚えていません。

とにかく自分をコントロールできず、娘を抱っこしたまま泣き出すこともありました。

それを見た家族が、私の腕から娘を抱き上げたとき、自分を否定・拒絶されたと感じて衝動的にベランダから逃走(落ちたともいう)したこともありました。(無傷でしたが、外は雪。あまりの寒さに玄関ドアをたたき救出してもらった)

 

産婦人科産後うつではないと言われ、

心療内科適応障害と診断されました。

診断をうけて、とてもほっとしたのを覚えています。

 

適応障害は、ストレスの要因がはっきりしているのが特徴で、

要因から離れていれば回復するというもの。

 

私のストレス要因は、まぎれもなく彼(まだ一応夫)でした。

 

 

離婚の文字が、頭をよぎりました。

 

それでも、一応まだ夫婦。

病メルトキモ、なんて何も誓ってないけど、彼が治療に協力してくれるのか確認することに。

心療内科の受診に同席してもらったあと、彼と医師だけで話してもらいました。

次回受診日の確認をして、その日は終了。

 

協力する気があるのなら、

次の受診日までに、何かしらのアクションを起こすだろう。

何もなければ、離婚しよう。

 

殆ど諦めていましたが、まだどこかで信じたいと思っている自分に

諦める決心をさせたくて、そう決めました。

 

 

案の定、音沙汰はなし。

 

 

そこから猛烈な勢いで離婚について調べあげ、離婚協議書を自分で作成。

離婚届を役所で受取り、彼の書く所以外は全て埋めて、離婚を要求しました。

(離婚するんだと決めてからのエネルギーは本当に凄かった)

 

すると、例のごとく彼は実家に押しかけてきました。

夜中にイキり倒してうるさい車で現れ、家の前に何時間も居座り続けたので110番。

 

昔ストーカー事件があった地域ということもあり、警察はすぐに来てくれました。

 

警察の到着する前に彼は逃げ出しましたが、

”警察沙汰”という意味で証拠になりました。

 

 

すると、別の日に彼の母親が来て、”息子が悪いことをした”

と、私の手を握りながら頭を下げて謝罪。

 

離婚成立かと思いきや、

また別の日に”息子は悪くない!”と、彼母再登場。

 

両家揃って話し合いをするも、決着がつきません。

 

仕方がないので弁護士さんに相談し、

調停の申し立てをしました。

 

論破するための準備をしながら、しばらくして日程のお知らせが届くと、

即日彼母が一人でやってきて、何も裁判することないじゃないかと何やら文句を言いながらも、離婚届けはこちらで提出しますと去って行きました。

 

 

 

り・・・離婚成立!!!!!

やっと・・・やっと解放された・・・・・

婚姻期間数か月という芸能人みたいな記録をたたき出しました

 

 

その後ママ子は治療に専念し、半年程でアルバイトを始め、資格取得に向けて踏み出すのでした。

その先でぶち当たる壁の存在も知らずに・・・

 

 

大変長くなりましたが、

これが私の共依存・DV、そこから脱出した体験です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

 

辛いなんて言葉じゃ足りないくらいしんどかったけど、

その分経験値を得ることができました。

私も彼も未熟だったから生じたことだと、今なら分かります。

 

もし、似たような経験をお持ちの方、

過去を悔やんでいる方

相手や、自分を許せない方へ

 

心と身体は、とても正直者

過去の自分の心は、

居場所である大切な身体を守ろうと

そのとき置かれた状況を一生懸命理解しようと努力したのです。

精一杯頑張ったうえで、一番いいと判断した行動をとった。

 

その頑張りを、どうか認めてあげて下さい。

 

大丈夫。生きていれば必ず、認められる日が来ます。

 

 

 

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次回

mamakoblog.hatenablog.com