母はどんな人?? 保育園編
こんにちは。
リンクの貼り方を覚えました(今更)
アナログ昭和生まれ いぬ子です。
(結局ニックネームを名乗ります)
前回は、自分の中のAC(アダルトチルドレン)を全力否定しようとしたことをお話ししました。
今回は、私にとって母はどんな人だったか、どんな風に見えていて
私がどう思っていたかを振り返ろうと思います。
ちょっとお疲れモードなので
短めにするか、分けて載せますね。
~小学校入学前
母は専業主婦でしたが、訳あって私は保育園へ通っていました。
私の通っていた保育園はちょっと独特なルールがあり、
- 髪を伸ばしてはいけない(女子もベリーショート)
- 靴下を履いてはいけない(真冬でも裸足)
- 読み聞かせは基本聞くだけ(絵は先生の許可がないと見られない)
- テレビを見てはいけない(家で)
- 字を書いてはいけない
等々、まぁ他にもいろいろルールがありました。
保育園が嫌いな訳ではなかったのですが、この頃の私は”ズル休み”しまくっていました。
朝、なんとなく行きたくなくて母に言うと
母:「いぬ子ちゃん、小学校上がったらもうズル休みできないわよ」
そう言って休ませてくれました。
結局、家に居てもつまらないので、また普通に通うのですが
専業主婦だった母のお迎えは早く、いつも帰るのは一番最初でした。
まだ他の友達が遊んでいたり、おやつを食べているのがすごく羨ましかったのを覚えています。(母にお迎えを遅くして欲しいと頼んだこともありました)
当時、お友達とケンカをすればすぐに泣く泣き虫な私。
お友達のママが焦って母に誤ったりしても
母:「この子はすぐ泣くのよ~、気にしないで~」
と母は笑って返してました。
今だに泣くとそう言われます
外遊びが大好きだった私は、
公園で暗くなっても遊び続け、一緒に遊んでいる友達が帰っても一人で遊び続け
母に叱られようが怒られようが、説得されようが
私:「やだーーー!!!」
結局泣きわめいたまま、ひきずられるようにして帰るなんて日常茶飯事でした。
我が強かったんですね。(苦笑)
そんな我の強い泣き虫な私が大っ嫌いだったのが
注射
ある日届いた
集団での予防接種のお知らせ。
定期接種だから仕方ありません。
正直に言ったら泣き喚いて連れていくのが大変になってしまう。
(母は免許を持っていないので移動手段は自転車)
そう思ったんだそうです。
母は嘘をつきました。
会場で気付いた私は逃げ出したのを覚えています。
生きていれば嘘の一つや二つ、つくと思います。
社交辞令とか、大人の対応では必要なときもあります。
母の気持ちも分からない訳ではないです。
でも、
これは嘘ついちゃアカン奴。
今なら
巷に数多とある育児本に当たり前のこととして載ってますが、
当時は分からなかったんでしょうね。
それがその後に影響してるかはなんとも言えませんが、
今でも鮮明に覚えていることは確かです。