バツイチ いぬ子 2nd物語

バツイチアラサー、自分の人生をゆるく生きることにした。

母はどんな人?? 保育園編

こんにちは。

リンクの貼り方を覚えました(今更)

アナログ昭和生まれ いぬ子です。

(結局ニックネームを名乗ります)

 

 

前回は、自分の中のAC(アダルトチルドレン)を全力否定しようとしたことをお話ししました。

mamakoblog.hatenablog.com

 

 

今回は、私にとって母はどんな人だったか、どんな風に見えていて

私がどう思っていたかを振り返ろうと思います。

ちょっとお疲れモードなので

短めにするか、分けて載せますね。

 

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~小学校入学前

 

母は専業主婦でしたが、訳あって私は保育園へ通っていました。

私の通っていた保育園はちょっと独特なルールがあり、

  • 髪を伸ばしてはいけない(女子もベリーショート)
  • 靴下を履いてはいけない(真冬でも裸足)
  • 読み聞かせは基本聞くだけ(絵は先生の許可がないと見られない)
  • テレビを見てはいけない(家で)
  • 字を書いてはいけない

等々、まぁ他にもいろいろルールがありました。

保育園が嫌いな訳ではなかったのですが、この頃の私は”ズル休み”しまくっていました。

 

朝、なんとなく行きたくなくて母に言うと

母:「いぬ子ちゃん、小学校上がったらもうズル休みできないわよ」

そう言って休ませてくれました。

 

結局、家に居てもつまらないので、また普通に通うのですが

専業主婦だった母のお迎えは早く、いつも帰るのは一番最初でした。

まだ他の友達が遊んでいたり、おやつを食べているのがすごく羨ましかったのを覚えています。(母にお迎えを遅くして欲しいと頼んだこともありました)

 

当時、お友達とケンカをすればすぐに泣く泣き虫な私。

お友達のママが焦って母に誤ったりしても

母:「この子はすぐ泣くのよ~、気にしないで~」

と母は笑って返してました。

今だに泣くとそう言われます

 

外遊びが大好きだった私は、

公園で暗くなっても遊び続け、一緒に遊んでいる友達が帰っても一人で遊び続け

母に叱られようが怒られようが、説得されようが

私:「やだーーー!!!」

 

結局泣きわめいたまま、ひきずられるようにして帰るなんて日常茶飯事でした。

 

我が強かったんですね。(苦笑)

 

 

そんな我の強い泣き虫な私が大っ嫌いだったのが

 

注射

 

 

ある日届いた

集団での予防接種のお知らせ。

 

定期接種だから仕方ありません。

 

 

正直に言ったら泣き喚いて連れていくのが大変になってしまう。

(母は免許を持っていないので移動手段は自転車)

 

 

そう思ったんだそうです。

 

 

母は嘘をつきました。

 

 

会場で気付いた私は逃げ出したのを覚えています。

 

 

生きていれば嘘の一つや二つ、つくと思います。

社交辞令とか、大人の対応では必要なときもあります。

母の気持ちも分からない訳ではないです。

 

 

でも、

これは嘘ついちゃアカン奴。

 

今なら

巷に数多とある育児本に当たり前のこととして載ってますが、

当時は分からなかったんでしょうね。

 

 

それがその後に影響してるかはなんとも言えませんが、

今でも鮮明に覚えていることは確かです。

 

 

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